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浦和地方裁判所 昭和53年(ワ)423号 判決 1981年9月28日

原告 加藤陞

原告 加藤和子

右両名訴訟代理人弁護士 小松義昭

被告 白石幸助

右訴訟代理人弁護士 大江保直

同 川崎友夫

同 斎藤栄治

同 吉田正夫

同 柴田秀

主文

被告は原告らに対しそれぞれ金二一八万四九三七円及びこれに対する昭和五二年一月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

この判決は第一項に限り、原告らにおいてそれぞれ金四〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告は原告らに対しそれぞれ金一九二二万二九四一円及びこれに対する昭和五二年一月一三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

原告ら訴訟代理人は、請求の原因として次のとおり述べた。

一  事故の発生及び原告らの地位

訴外加藤啓史(当時五歳)は、昭和五二年一月一二日午後二時三五分ころ、浦和市常盤三丁目九番六号所在白石マンション(鉄筋コンクリート造陸屋根四階建。以下「マンション」という。)の裏口(東側)付近の道路において遊んでいたところ、マンションの出入口に設置されていた鉄骨製片引門扉(以下「門扉」という。)が道路上に倒れたため、その下敷きとなり、その場で死亡した。

原告加藤陞は啓史の父であり、原告加藤和子は啓史の母である。

二  責任原因

1  被告は、マンション及び門扉を所有し、これを占有していた。

2  被告は、マンションの周囲にブロック塀を設置していたが、東側に出入口を設け、出入口に幅約五・五メートル、高さ約一・七五メートル、重さ約一〇〇キログラムの門扉を取り付け、門扉は幅約五ミリメートル、高さ約五ミリメートルのレールの上を南北の方向に開閉されるようになっていた。

門扉は、閉鎖時においては、南側が支柱の受け板で、北側が支柱のガイドローラーでそれぞれ支持されていて、転倒を防止する構造になっていたが、開閉のための移動時においては、門扉を支持するものが北側の支柱のガイドローラーしかなかった。

門扉には二個の戸車が取り付けられており、その戸車がレールの上を移動するのであるが、レールの幅及び高さがいずれも約五ミリメートルしかなかったので、戸車は、レールから外れる危険性があった。戸車がレールから外れた場合には、北側の支柱のガイドローラーのみで門扉の転倒を防止することは極めて困難であった。また、出入口付近の地表は、マンション側(西側)から道路側(東側)に向け下り勾配になっていたので、戸車がレールから外れた場合には、門扉が道路側に転倒する危険性があった。

3  啓史は、兄訴外加藤和啓(当時六歳)、訴外林貴治(当時五歳)及び訴外林衛(当時三歳)と四人で、門扉を押したり引いたりしてレールの上を移動させながら遊んでいたところ、門扉が突然レールから外れて、道路側に動き出し、道路上にいた啓史の上に倒れて、啓史を下敷きにした。

門扉がレールから外れて道路上に転倒したのは、門扉が前記のような構造をもって設置され、開閉の際の移動時にはレールから外れて転倒する危険性があったのに、被告が、その転倒を防止する措置を講じていなかったからである。

4  したがって、土地の工作物である門扉には設置又は保存について瑕疵があったのであるから、被告は、門扉の占有者として、事故によって生じた損害を賠償すべき責任がある。

三  損害

1  啓史の損害

(一)  逸失利益 一八四四万五八八三円

昭和四九年賃金センサスによる男子労働者・年齢計の給与額は年額二〇四万六七〇〇円である。啓史は、一八歳から六七歳まで就労が可能であった。ホフマン係数は、二七・八四六(六三年)から九・八二一(一四年)を差し引いた一八・〇二五である。生活費の割合は収入の二分の一である。したがって、逸失利益の現価は、一〇二万三三五〇円に一八・〇二五を乗じて、一八四四万五八八三円となる。

(二)  慰謝料 一〇〇〇万円

五歳で死亡したのであるから、その精神的苦痛を慰謝するには右の額が相当である。

(三)  相続

原告らは、父又は母として啓史を相続し、啓史の取得した二八四四万五八八三円の賠償請求権を二分の一(一四二二万二九四一円)ずつ取得した。

2  原告らの慰謝料   各五〇〇万円

原告らは、二男の啓史を五歳で失ったのであり、その精神的苦痛を慰謝するには右の額が相当である。

四  そこで、原告らは、被告に対し、それぞれ損害金一九二二万二九四一円及びこれに対する不法行為の日の翌日の昭和五二年一月一三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告訴訟代理人は、請求の原因について次のとおり述べた。

一  第一項のうち啓史が道路で遊んでいた事実を否認し、その余の事実を認める。

二  第二項の1の事実を認める。

同項の2のうち被告がマンションの周囲にブロック塀を設置し、東側出入口に門扉を取り付け、門扉が二個の戸車によってレールの上を南北方向に開閉されるようになっていて、北側が支柱のガイドローラーによって支持されていた事実を認めるが、その余の事実を否認する。

同項の3のうち啓史が和啓、貴治及び衛と四人で門扉を押したり引いたりして遊んでいた事実を認めるが、その余の事実を否認する。

同項の4の主張を争う。

三  第三項の主張はすべて争う。

四  門扉には設置又は保存に瑕疵がなかった。

1  瑕疵とは、物が本来備えているべき性質、設備、機能を欠くことをいう。そして、瑕疵の存否を判断するに当たってはおよそ想像しうるあらゆる危険の発生を防止しうべきことを基準として抽象的、画一的に決すべきではなく、一般的には当該工作物の構造、用途、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮した上で、具体的に通常予想されうる危険の発生を防止するに足りると認められる程度のものを必要とし、かつ、これをもって足りるものというべきである。したがって、工作物が本来備えているべき性質、設備、機能とは、工作物を本来の用法に即して利用することを前提とするものであって、工作物所有者(占有者)の予想を越えて異常な行動をし、その結果生ずるような事故についてまで工作物設置・保存の責任を負うものではないのである。

2  門扉は、マンションの東側裏口部分に接して南北に通ずる幅員二・五メートルの道路に面して、マンション敷地内に設置され、門扉西側のマンション駐車場及び裏口と、門扉東側の道路とを遮断する役割を果たしている。

門扉の構造は、幅五・一〇メートル、高さ一・七四メートル、軽量鉄骨製重さ一〇〇キログラムの本体が、水平面を保持しているコンクリートに下部を埋め込まれ固定されたレールの上を、門扉底部に取り付けられた重量戸車二個で南北に移動し、閉鎖時においては、幅四・九メートルの開口部両脇にある軽量鉄骨製角型支柱(ブロック塀及びコンクリート基礎で固定)二本の上部に取り付けられたガイドローラー(鋼製)及び鉄板(フラットバー)で門扉上部を挾まれて支えられ、鋳物製戸車(全幅二一ミリメートル、左右の凸部分の幅各七ミリメートル、凹部分の深さ七ミリメートル)がレール(アンカーボルトで最下部が固定され、更に上部一〇ミリメートルを残してエル字型下部四〇ミリメートルをコンクリートで埋設固定されたアングル鋼エル型レール幅六ミリメートル)を挾みつけるように噛んで、自重一〇〇キログラムをもって強く押しつける構造を持ち、また、門扉移動中においては、支柱のうちレール中央付近に設置された支柱上部に取り付けられた二個のガイドローラー(ボルトの太さ直径一二ミリメートル)の間に門扉上部を噛ませ、下部は二個の重量戸車が一〇〇キログラムの自重をもってレールを挾むことによって固定支持されるような構造になっている。

3  門扉は、前記のような構造を有するのであって、それが前記用途に従い、通常の方法によって開閉される場合には、絶対に倒れることがなかったのであり、門扉には設置について瑕疵がなかったばかりでなく、保存についても瑕疵がなかったのである。

すなわち、門扉は、被告所有のマンション敷地内に所在し、被告、マンション居住者及びその関係者が東側道路に出入りする際にこれを開閉して使用するものであり、右の者以外の者がマンション敷地に立ち入ることを防止するために設置されたものである。門扉は、通常内側又は外側から手を掛け、そのまま門扉とともに歩くようにしてこれを開閉するものであり、このような通常の開閉方法に従う限り、門扉の戸車がレールから外れることは絶対に起り得なかった。門扉等の材質は、いずれも市販の規格品が使用されて、各部分に応じた強度を十分に備えていた。事故後においても、戸車、レール及びガイドローラーには何らの損傷も認められなかったのである。したがって、門扉の用途、利用状況から見て、門扉は、通常予想されうる危険の発生を防止するに足りると認められる程度の安全性を保有していたことが明らかである。

五  事故の態様及び原因

1  啓史は、和啓、貴治及び衛とともに門扉を使用して、電車ごっこという遊びをしていた。すなわち、事故当時啓史は、道路側から門扉に取り付いて門扉に乗り、和啓、貴治及び衛のうちの二人が門扉を北方から南方へ押し、一人が門扉を南方へ引いて、門扉を勢いよく南北に移動させて遊んでいた。

そして、右のような門扉の利用方法は、次のような点から見ても、異常な利用方法であったことが明らかである。すなわち、第一に、子供たちは、本来門扉を利用できる者でなかったこと、第二に、子供たちは、門扉に乗り、したがって、門扉の片側に加重した状態で、何度もドーンドーンとすごい音がする程に勢いよく門扉を移動させていたこと、第三に、子供たちは、いずれも事理弁識能力のない幼児であったのに、これを監督すべき者がいない状態で行動していたこと、第四に、子供たちは、平素その親たち及び被告夫妻からマンション敷地に立ち入り遊ぶことをしないようにと注意を受けていたのに、これを犯していたこと、以上の各点である。

2  更に、啓史、和啓、貴治及び衛は、次のような非常に特異な方法を用いて門扉を利用していた。すなわち、四人は、門扉の脇にある非常階段の腕木に固定され、始末されていたロープを解き、ロープの先端の輪の中にビニールパイプを通し、これを門扉の上下の中央付近にある横の鉄製桟の下側の縦格子の間に絡めて、門扉と交差させ、門扉が移動することによってロープが張られ、交差位置の関係でロープが張り切った時に、門扉が内側(西側)のやや上方から強く引かれることになり、足元をすくわれる状態で、一人が門扉に乗り、三人が勢いよく門扉を移動させて遊んでいたのである。

右のような門扉の利用方法は、本来の利用方法とは全く掛け離れた予見し得ない特異な利用方法であり、第三者が右のように異常な行動に出た結果発生した事故についてまで、工作物に瑕疵があったものとして、これを工作物の占有者・所有者の責に帰すべきものとするのは相当でない。

被告訴訟代理人は、抗弁として次のとおり述べた。

一  不可抗力による免責

事故の発生は不可抗力によるものであったから、被告は、民法七一七条の規定による損害賠償義務を負わない。すなわち、事故は、前記被告の主張五の1及び2のような啓史ら四人の行為によってひき起こされたのであるが、門扉が遊び道具として前記のように利用されることは、門扉にとって空前絶後の出来事であり、予想を全く越えた人工作用である。門扉が倒れた唯一の決定的原因は、前記の予想を全く越えた外力が加わったことによるものであって、事故の発生は客観的に予想され得ないものであった。したがって、このような場合には、損害を回避しうる可能性がなかったものとして、工作物の占有者・所有者は免責されるべきである。

二  過失相殺

仮に被告に損害賠償責任があるとしても、被害者側(啓史、和啓及び原告ら)には次のような重大な過失(過失割合八割以上)があったから、賠償額を定めるに当たっては、これを考慮すべきである。

1  原告らは、事故当時事故現場におらず、六歳、五歳、三歳の幼児が門扉を動かして危険な遊びをしていたのを制止しなかったばかりでなく、事前に特別の注意を与えてもいなかった。原告らが、日ごろ和啓及び啓史に対し、他人の管理する場所には無断で入らないこと、門扉を使って遊ぶようなことはしないことなどを十分に注意し、かつ、和啓らに付き添っていたならば、事故の発生を防止することができたはずである。原告らは、和啓及び啓史を放任し、監督上の義務を著しく怠ったのであるから、その過失は重大である。

2  事故は、和啓らが門扉を使って異常な遊びをしていた際に発生したものであり、和啓も加害者の一人であるが、和啓には行為の責任を弁識する能力がなかったのであるから、和啓が啓史に対する不法行為者として啓史に対し被らせた損害については、原告らが、和啓の監督責任者としてその責に任ずるべきものである。

3  啓史は、以前にマンション敷地内で遊び、その際注意を受けたのに、再び和啓らとともにマンション敷地に侵入した上、門扉に乗って電車ごっこをして遊ぶという異常な行動をした結果、事故に遇ったのである。啓史は、当時五歳四箇月であったが、その過失は大きい。

原告ら訴訟代理人は、被告の抗弁について次のとおり述べた。

一  第一項の主張を争う。

二  第二項のうち原告らが事故当時現場にいなかった事実を認めるが、その主張はすべて争う。

《証拠関係省略》

理由

一  事故の発生及び原告らの地位

請求の原因第一項のうち加藤啓史が道路で遊んでいた事実を除く、その余の事実は当事者間に争いがない。

二  責任原因

1  被告がマンション及び門扉を所有し、これを占有していた事実、被告がマンションの周囲にブロック塀を設置し、東側出入口に門扉を取り付け、門扉が二個の戸車によってレールの上を南北方向に開閉されるようになっていて、北側が支柱のガイドローラーによって支持されていた事実並びに啓史が加藤和啓(当時六歳)、林貴治(当時五歳)及び林衛(当時三歳)と四人で門扉を押したり引いたりして遊んでいた事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  門扉の構造等

《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被告は、昭和四五年三月ころ訴外大宮建設株式会社に請け負わせて、肩書住所地に鉄筋コンクリート造陸屋根四階建のマンションを建築したが、その際大宮建設に対し、門扉の設置工事をも請け負わせた。大宮建設は、門扉の設置工事を更に訴外錦鉄工有限会社に請け負わせ、錦鉄工は、同じころ門扉の設置工事を完成させた上、大宮建設を通じてこれを被告に引き渡した。

(二)  門扉は、軽量鉄骨製のもので、周囲が縦・横とも各五センチメートルの正方形の断面をもつ角柱をもって長方形に枠組みされ、その長さ(横幅)が五・〇五メートル、高さが一・七五メートル、厚さが五センチメートルであった。上端から六八センチメートルないし七三センチメートルの位置にかけて、横に幅五センチメートルの角柱による一本の支梁が設けられ、支梁の上部及び下部に等間隔を置いて各四八本の鉄格子が縦にはめ込まれていた。門扉の下方の枠の両端から各八二センチメートル内側寄りの箇所に重量戸車が一個ずつ取り付けられていた。

(三)  戸車は、鋳造されたものであって、車輪の直径が一〇センチメートル、幅が二一ミリメートルであり、車幅の中央部分に幅・深さとも各七ミリメートルの溝(凹状のもの)が作られ、その溝(凹部分)が三方からレールを挾んで、レールの上を移動するようになっていた。溝の両側にはそれぞれ幅七ミリメートルの側壁が作られていた。

(四)  マンションの敷地の東側は幅員二・五メートルの道路に面していたが、被告は、敷地の東側部分のうち北端から南方へ五メートルの地点までをブロック塀で囲い、ブロック塀から南端までの部分五・二〇メートルを開放して、その部分に門扉を設置した。東側ブロック塀の北端部分の西側、同ブロック塀の南端部分の南側及び敷地南側部分のブロック塀の東端部分付近の北側にそれぞれ接して、軽量鉄骨製の三本の角柱型支柱(以下これらを順次「北端支柱」、「中間支柱」、「南端支柱」という。)が設置され、北端支柱と南端支柱との間の地表にレールが設置された。

三本の支柱は、いずれも縦・横各一〇センチメートル、地表の高さ二・一〇メートルの四角柱で作られていたので、中間支柱と南端支柱との間には、五・〇〇メートルの空間が生じた。

(五)  レールは、鋼製エル字型のもので、その下部がアンカーボルトで地中に据え付けられた上、コンクリートで固定され、地表には高さ八ミリメートルないし二〇ミリメートルの部分が出るようになっていた。レールの幅は六ミリメートルであり、その上面は水平に敷設された。

(六)  中間支柱の上部(固定位置は地表から一・八三メートルの高さにある。)にガイドローラーが取り付けられていた。ガイドローラーは、一対二個のローラーをもって、門扉の上部の枠部分を、東側と西側の両側面から挾み込むようにしてこれを支える仕組みになっていたが、東側と西側の一対二個のローラーの間には五・五センチメートルの空間があり、ローラーの面の幅(長さ)は二・五センチメートルであった。

門扉の上部枠の幅及び高さは各五センチメートルであり、上部枠の両側面のうち二センチメートルないし二・五センチメートルの部分がローラーと接触するように設置されていた。

(七)  南端支柱の上部に一対二枚の鉄製平板が取り付けられ、門扉が閉められた時に門扉の上部の枠部分を、東側と西側から挾み込んでこれを支える仕組みになっていた。東側の鉄板は、縦(高さ)一〇センチメートル、横(幅)七センチメートルの大きさで、地表から一・七三メートルの位置より上方に設置され、西側の鉄板も、縦・横の長さが右と同じで、地表から一・七二メートルの位置より上方に設置され、その取付箇所において二枚の鉄板の間には六センチメートルの間隔があった。

(八)  門扉の重量は約一〇〇キログラムであった。門扉は、人力によってレールの上を南北の方向に開閉されるが、閉鎖時においては中間支柱と南端支柱との間に押し出され、開放時においては中間支柱と北端支柱との間に収められていた。

閉鎖状態における門扉の北側の位置は、門扉の北側部分の枠が中間支柱の西面部分の南側部分に約五センチメートルかかる程度のものであった。

(九)  マンションの敷地は東側の道路より高い位置にあり、そのためレールと東側道路との間には一五度ないし二〇度の勾配をもったコンクリート製の傾斜面(私設進入路)が設けられていた。

3  門扉の利用状況等

《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  マンションは、一般住宅が密集した街の中にあったが、マンションの東側道路付近の交通量は少なかった。

(二)  被告は、家族とともにマンションの四階部分に居住して、マンションの二階から四階までの各室を居住用として一四世帯に賃貸し、一階の西側部分の一部を訴外株式会社大塚商会に事務所として、他の一部を訴外株式会社三菱重工エアコンに倉庫としてそれぞれ賃貸し、一階の東側部分約一六五平方メートルを大塚商会に車庫として賃貸していた。

門扉の設置された東側出入口は、大塚商会の自動車及びマンション居住者等の出入口として使用されていた。

(三)  門扉は、マンションとともに昭和四五年三月ころ完成され、被告は、そのころから毎日門扉を開閉して使用していたが、事故発生時までの間において、門扉が開閉の作業中にレールから外れたことはなかったし、門扉がレールから外れて倒れたこともなかった。

(四)  戸車は磨滅するので、被告は、六箇月ごとに戸車を新品のものと取り替えていた。また、被告は、門扉がさびるのを防止するため、時折ペンキを塗り替えていた。被告は、昭和五一年九月ころ門扉の戸車を取替えるとともに、ペンキを塗り替えた。

4  事故発生の状況

(一)  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 門扉は、レールから外れて、東側道路のほぼ中央部分に、ほぼ道路に沿って、下方部分を西方に、上方部分を東方にして倒れた。

(2) 啓史は、頭を東方に、両足を西方にして、仰向けに倒れた状態で門扉の下敷きとなった。頭の位置は、中間支柱から三・三メートル、南端支柱から一・八メートルの地点にあった。

(3) 啓史は、頭部を強打して、脳幹部損傷、頭蓋骨々折等を負い、多量の血を流して、その場で直ちに死亡した。

啓史の顔面等には門扉の鉄格子の当たった痕が刻され、門扉の南側から一二本目の支梁の下部の鉄格子に啓史の血痕が付着した。

(二)  原告らは、啓史が東側道路で遊んでいたとき、倒れた門扉の下敷きとなったと主張し、原告加藤和子は、本人尋問において、「和啓から後で聞いたところ、啓史は下を向いて道路に絵を書いていた、ということであった。」と供述しているが、「啓史が下を向いて道路に絵を書いていた」との部分は、前記(一)において認定した事故の結果に照らしても、信用することができない。

(三)  被告は、啓史を含む子供四人が門扉を使って電車ごっこをして遊んでいたと主張するので、検討するに、前記(一)において認定した事故結果に、《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 原告らは、事故当時浦和市常盤三丁目四番七号所在浦和橋荘二〇一号室(二階)に長男和啓、二男啓史と四人で暮らしていた。

事故の日和啓と啓史は、同市常盤三丁目九番四号訴外林貞男方に行き、同人の長男貴治及び二男衛と遊んでいたが、事故発生時の数分前ころ、貴治及び衛と四人で貞男方から外に遊びに出た。

(2) 和啓、啓史、貴治及び衛は、すぐ近くのマンション敷地に入り込み、幼児の力でもたやすくレールの上を移動する門扉に目を着けるや、思い思いに門扉に手足を掛け、門扉を押したり引いたりして、門扉を南北に自在に動かし、時には誰かが下部の枠に足を掛けて乗ったりした。

このようにして遊んでいるうちに、門扉の戸車がレールから外れ、門扉が大きな音を立てて、東側道路に横倒しに倒れた。

(3) 門扉が東側道路の方に倒れそうになった時、和啓、貴治及び衛の三人は、いち早くこれに気付いて門扉から遠ざかり、難を逃れた。

(四)  更に被告は、啓史を含む子供四人が、マンションの非常階段の腕木に固定されていたロープとビニールパイプを使用して門扉を動かし、遊んでいたと主張するので、問題点ごとに順次検討する。

(1) 《証拠省略》によれば、実況見分調書添付の写真三号及び五号には、マンションの東側に取り付けられた非常階段の最下所の踊り場の下方の腕木にロープが結び着けられ、ロープの一方の末端が腕木から垂れ下がって、地表近くまで達している状況が撮影され、また、ビニールパイプのような物が踊り場下方付近の地表に放置されている状況が撮影されていること、ロープは、黄色のナイロン製のもので、直径が一センチメートル、長さが二五・二三メートルであり、両端にいずれも内径四・五センチメートル、外径六・五センチメートルの輪が一個ずつ作られていたこと、ビニールパイプは、灰色の鉛化ビニール製のもので、内径が二センチメートル、外径が二・六センチメートル、長さが二五・五センチメートルであり、検証時においても、目に着くような損傷が何ら認められなかったこと、以上の事実を認めることができる。

(2) 被告は、本人尋問において、「子供四人が、非常階段の腕木に巻き付けられていたロープをほどいてこれを使用した。」と供述する。しかし、前記乙第八号証によれば、腕木は地表から一・七四メートルの高さに位置することを認めることができるのであり、この事実に和啓らの年齢・体格等を合わせ考えれば、和啓ら四人が被告主張の作業をすることができたとは到底考えられない。被告の右供述はこれを信用しない。

(3) 《証拠省略》によれば、被告は、事故の日和啓が、実況見分に来た警察官に対し、ロープとビニールパイプを持って来て示した上、ビニールパイプをロープの先端の輪に通し、そのようにしたものを門扉の支梁の下部の鉄格子に引っ掛けて見せ、このようにして遊んだと説明したのを、警察官のかたわらに居て、見聞したというのである。

しかし、前記乙第七号証の三及び司法巡査作成実況見分調書には、子供四人がロープとビニールパイプを使用したことについて何ら記述するところがないのであり、実況見分に当たった証人吉田豊は、和啓から右のような説明を受けたとの記憶がないと証言している。担当捜査官にとって、事故発生の原因を究明することは重要な関心事であったから、捜査官が和啓から右のような説明を受けたものとすれば、捜査官は、当然にロープとビニールパイプの存在及び使用状況について注意を払い、前記捜査報告書又は実況見分調書に何らかの記述を加えたはずである。証人吉田豊も、同じ趣旨の証言をしているが、実況見分当時ロープ及びビニールパイプについて捜査が行われなかったことは、前記の各証拠に照らして明らかである。したがって、被告の前記供述は信用し難い。

(4) 《証拠省略》によれば、門扉が東側道路に倒れた際、門扉の南側から二六本目の支梁の下部の鉄格子が一本、門扉から欠け落ちた事実を認めることができる。

被告は、本人尋問において、「その鉄格子は、ビニールパイプを用いて取り付けられたロープが瞬間的に強力に働いたので、欠け落ちたのだと思う。」と供述している。しかし、ロープが鉄格子の欠落箇所に掛けられたとの事実を認めるに足りる証拠はない。前記乙第八号証によれば、ロープが鉄格子の欠落箇所に掛けられたとして、門扉の南端が南端支柱に達するのには、ロープの長さが三・三六九メートルを要するというのである。それなのに被告は、本人尋問において、「腕木の下方に垂れ下がっていたロープの長さは、一・三〇メートルでした。訂正します。一・六〇メートルくらいです。いや、二メートルくらいありますね。」と供述して、一貫性がないばかりでなく、乙第八号証の記載事項とも異なる供述をしている。

《証拠省略》によれば、一本の鉄格子は、門扉と同じように東側道路に落ちていたのであって、門扉が舗装された東側道路に倒れた時の衝撃によって、下方の枠及び支梁から欠け落ちたものと認めるのが相当である。

(5) 被告は、本人尋問において、「子供四人は、門扉が南端支柱に当たって大きな音を立てるので、その音をやわらげるためにロープを取り付けたのではないかと思います。」と供述する。しかし、子供四人がそのような知恵を働かせたものと見るのには疑問があり、被告は、他方において、「事故当時普段の音とは異なる大きな音がしていたと、近所の者が被告の妻の母に語っていた。」とも供述している。したがって、被告の前者の供述(意見)には納得し難い点がある。

(6) 《証拠省略》によれば、被告訴訟代理人から依頼を受けて、事故発生の力学的状況を調査した訴外島田克朗は、「門扉が中間支柱のガイドローラーから外れて倒れるのは、ビニールパイプを先端の輪に通したロープが、踊り場下方の腕木から三・三六九メートル引き出されて、門扉の支梁の下方の鉄格子の欠落箇所に引っ掛けられた状態が作り出されたときであり、そのような状態が作出されなければ、門扉は倒れないであろうと考えた。」というのであり、被告も、本人尋問において、ほぼ同趣旨の供述をしている。

しかし、《証拠省略》によれば、島田は、ロープがビニールパイプによって鉄格子の欠落箇所に取り付けられたことを所与の条件として、事故発生の力学的状況を考察したものであることが認められるところ、司法巡査作成実況見分調書、門扉等の検証の結果その他の証拠を精査しても、ロープが鉄格子の欠落箇所に取り付けられていたこと及びロープが腕木から三・三六九メートル引き出されていたことを認めるに足りる証拠は見当たらない。そして、後記のようにロープが門扉に取り付けられなかったとしても、事故が発生するに至った原因があったことを推認することができるのである。したがって、乙第八号証及び証人島田克朗の証言があることによって、直ちにロープ及びビニールパイプの使用を肯認しなければならないものということにはならない。

(7) 以上のように啓史ら四人がロープとビニールパイプを使用して門扉を動かしていたとの事実を認めるに足りる証拠はない。

(五)  事故は次のような状況の下に発生したものと推定するのが相当である。

(1) 前記(三)の(2)において認定したとおり和啓、啓史、貴治及び衛の四人は、門扉を押したり引いたりして、門扉をレールの上で南北に自在に動かしながら遊んでいた。

《証拠省略》によれば、和啓は、警察官に対し、「一人が門扉に乗り、二人が門扉を北側から押し、一人が門扉を南側から引っ張って遊んでいた。」と説明した、というのであるが、四人のうちの誰が門扉のどの辺でどのような行動をしていたのかは判然としない。前記乙第七号証の三には、和啓及び貴治から聞き取ったこととして、「和啓と貴治が門扉に乗り、衛が押したり引いたりし、啓史は道路側に立ってこれを見ていた。」と記載されているが、右の記載を文言どおりのものとして受け取ることは相当でない。《証拠省略》によれば、和啓と貴治が門扉に乗ったとの記載は、二人が門扉の下枠に両足を掛けて乗ったままの状態でいたというのではなくて、二人は、随時片方の足を門扉の下枠に掛け、他方の足で地表を蹴りながら門扉を南北に動かし、動き始めた門扉の下枠に他方の足をも掛けて乗っていたということを意味するものと認めることができる。

(2) 《証拠省略》によれば、実験のため大人が閉鎖状態の門扉に手を掛け、駆け出しながら全力を出して門扉を南方へ押し出し、途中で門扉から手を離したところ、(イ) 門扉はレールの上でバウンドするような上下動を見せたこと、(ロ) 門扉は南端支柱に当たってから、北方へ逆戻りしたこと、(ハ) 門扉は南端支柱から逆戻りして、レールから外れたこと、(ニ) 門扉は、レールから外れても、中間支柱のガイドローラーに支えられて、倒れなかったこと、以上の結果が得られた事実を認めることができる。

(3) 前記(一)の(1)ないし(3)において認定したとおり啓史は、頭を東方に足を西方にして仰向けに倒れ、門扉の下敷きとなって頭蓋骨々折等を負い、顔面等に門扉の鉄格子の痕が刻されたのであるが、右のような事故の結果(事故直後の状況)に照らせば、啓史は、事故の直前において門扉の東側に密着するような状態にあったものと推認することができる。

(4) してみれば、啓史は、門扉の東側の南側から一二本目くらいの鉄格子の下枠に両足を掛け、両手で鉄格子をつかまえながら門扉に乗り、和啓、貴治及び衛が、門扉の西側で門扉を北方から南方へ加速度をつけながら勢いよく動かしたところ、門扉が南端支柱に当たって北方へ逆戻りをし始め、その直後に門扉の戸車(南側のもの一個が)レールから外れてしまい、そのため門扉は、啓史の重み(約二〇キログラム)で東方へ傾きながら動き出し、門扉の上枠が中間支柱のガイドローラーから外れてしまって、東側道路に啓史を下敷きにして倒れるに至った、と推定するのが相当である。

5  瑕疵の存否

(一)  門扉の構造、用法、場所的環境及び利用状況等は、前記2の(一)ないし(九)及び3の(一)ないし(四)において認定したとおりである。

(二)  また、事故発生の状況は、前記4の(一)の(1)ないし(3)、(三)の(1)ないし(3)及び(五)の(1)ないし(4)において認定・説示したとおりである。

(三)  ところで、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 原告加藤陞は、昭和四三年暮れころから前記浦和橋荘に居住し、原告加藤和子は、昭和四四年四月から原告陞と同居するようになった。二人の間には昭和四五年七月に長男和啓が、昭和四六年九月に二男啓史が出生した。

すぐ近くに居住する林貞男と林悦子の間には、昭和四六年四月に長男貴治が、昭和四七年三月に二男衛が出生していた。

マンションの近くには、そのほかにも右と同じころに出生した者が多数あった。

(2) マンション敷地内の建物と東側門扉設置箇所との間には、車庫(駐車場)に出入りする自動車及びマンション居住者等の利用に供するため、比較的広い空間(コンクリート舗装)が設けられ、また、門扉設置箇所には幅五メートルの開口部が設けられた。

門扉は、夜間を除いて、北端支柱と中間支柱との間に収められていた。

(3) そこで、マンション近くの子供たち(主として幼稚園児ら)は、マンション東側の空地及び東側出入口付近を格好の遊び場として目を着け、しばしばマンションの敷地に入り込んだり、出入口付近の傾斜部分にたむろしたりして遊んでいた。

そして、子供らの親たちは、子供らに対し、「マンション敷地内の空地及び出入口付近は、車庫に出入りする自動車が通る所であって、危険であるから、その場所では遊ばないように。」と注意していた。

また、子供らは、時折門扉に手足を掛け、門扉を動かしたりして遊ぶこともあったが、親たちは、門扉が子供の遊びで倒れるようなことはあるまいと考え、これについては格別な注意をしていなかった。

(四)  門扉は、昭和四五年三月ころから毎日開閉されて使用されてきたが、事故発生の前までは、レールから外れて倒れるようなことが起こらなかった(前記3の(三)のとおり)。また、門扉は、力を掛けて南端支柱に当てられても、逆戻りをして、戸車がレールから外れるにとどまり、中間支柱のガイドローラーに支えられて倒れなかった(前記4の(五)の(2)のとおり)。

門扉は、閉鎖状態において、南端上部の両側が南端支柱の幅七センチメートル・高さ一〇センチメートルの平板によって支えられ、北端上部の両側が中間支柱の幅約二・五センチメートルのガイドローラーによって支えられ、北端枠の東側約五センチメートルが中間支柱によって支えられていた(前記2の(六)ないし(八)のとおり)ところ、門扉が力を加えられて南端支柱に当たった反動により逆戻りをして、戸車がレールから外れたときの門扉の位置が、(イ) 南端支柱の直近であった場合には、門扉を支えるものが閉鎖状態の場合とほぼ同じようなものであったと推認され、また、(ロ) 南端支柱から七センチメートルを越えた場合には、門扉を支えるものが中間支柱とそのガイドローラーのみになったことが明らかである(ただし、門扉の北側部分は移動距離に対応して、より深く中間支柱によって支えられることになる。)。

しかし、《証拠省略》によれば、戸車がレールから外れたときの門扉の位置が、右の(イ)、(ロ)のいずれの場合であったとしても、戸車がレールから外れた状態において、門扉の東側又は西側から、東方又は西方へ引っ張る力が加えられるとすれば、門扉は、これを支えていた物体から離れて、引っ張る力が加えられた方向へ倒れるような構造になっていて、啓史(体重約二〇キログラム)が門扉の東側の前記認定位置に両足を掛けて門扉に乗っていた場合においては、門扉は、東方へ容易に倒れるような状態になっていた事実を認めることができる。

(五)  被告は、啓史らが前記4の(五)の(4)において推定したような方法で門扉を使用したことは門扉の異常な利用方法であり、被告においてそのような門扉の利用方法を予見することは不可能であったと主張する。

なるほど、啓史らが前記4の(五)の(4)において推定したような方法で門扉を使用したことは、門扉の通常の用法に反するものであったことが明らかである。

しかし、マンションの近くに住む子供たちは、マンションの空地及び出入口付近に目を着けて、空地などで遊び回るとともに、幼稚園児の力でも容易に動く門扉を格好の遊び道具として、門扉を自在に動かしたり、門扉に乗ったりして遊んでいたのであり、被告は、マンションの四階に居住して、子供らが遊んでいる様子を容易に見聞することのできる立場にあったのである。そして、子供たちが門扉に乗って遊んでいる時に、勢いが余って戸車がレールから外れた場合には、門扉は、子供たちが乗って重量の掛かっている方向へ容易に横倒しになるような構造になっていたのである。

したがって、被告としては、門扉が倒れで、子供たちの生命身体に危害を及ぼすような事故が発生することのないように注意を払い、日ごろから子供たちが門扉を遊び道具として使用することのないように警告をしたり、子供たちが門扉に手足を掛けても、子供たちの力では門扉を動かすことのできないような装置を取り付けたりして、門扉が子供たちの遊び道具とならないような措置を講じておくべきであったばかりでなく、更に、万が一子供たちが門扉を遊び道具として自在に動かしたとしても、門扉が子供たちの力でたやすく倒れてしまうようなことのないような措置を講じておくべきであったものというべきである。それなのに、被告本人尋問の結果によれば、被告は、門扉がそれまでに倒れたことのなかったことに安心して、門扉が子供たちの遊び道具として使用されることのないような措置を講じなかったばかりでなく、門扉がたやすく倒れてしまうことを防止するような措置を講じていなかった事実を認めることができる。被告は、本人尋問において、「門扉を約七年間使用したが、その間に門扉が倒れるような事故はなかった。」と供述しているが、前記のような事故発生の危険性は、マンションの近くに住む子供たちが年毎に成長し、幼稚園に通う者などが増えてくるに従って増大してきていたものと見るのが相当であるから、被告としては、長年の間無事故であったからといって、安心してはいられなかったものというべきである。

(六)  以上の次第であるから、門扉には設置又は保存について瑕疵があったものと認めるのが相当である。

被告は、事故が啓史らの前記のような行為によって発生したのであるから、事故の発生は不可抗力によるものであったと主張するのであるが、被告の右の主張は、前記の説示に照らして失当であることが明らかであり、これを採用することはできない。

三  被害者側の過失

1  原告らは、長男和啓及び二男啓史とともに、マンションの近くの浦和橋荘に住んでいたところ(前記5の(三)の(1)のとおり)、マンションの近くに住む子供たちは、マンションの空地及び出入口付近を格好の遊び場として目を着け、その付近でよく遊んでいた上、時には門扉に手足を掛け、これを動かしたりして遊んでいたのである(前記5の(三)の(3)のとおり。)。

そして、事故発生の日も、啓史は、和啓と林貞男方に行って、貴治及び衛と遊んだ後、外に出て、マンションの敷地に入り込み、四人は、思い思いに門扉に手足を掛けて、門扉を押したり引いたりして動かし、門扉に乗ったりして遊んでいたのである(前記4の(三)の(1)及び(2)、(五)の(1)及び(4)のとおり。)。

2  門扉は前記2の(一)ないし(九)において認定したような構造のものであり、思慮分別のない子供たちが思いのまま力を加えて門扉を動かしたりすれば、時には強大な力が作用して、門扉の戸車がレールから外れ、重心の位置次第によっては門扉が横倒しになるような危険があったのであって(前記5の(四)及び(五)のとおり)、そのような危険性は、一般人が容易に予見することができるものであったというべきである。

したがって、原告らとしては、日ごろから啓史及び和啓に対し、他人の屋敷であるマンション敷地には無断で入り込まないようにと言い聞かせ、更に、マンション敷地又はその付近で遊ぶようなときにも、鉄骨製の重量物である門扉に手足を掛けたり、これを動かしたりして遊んだりしないようにと警告するばかりでなく、現実に啓史及び和啓の行動を監視して、啓史らが門扉を遊び道具として動かしたりすることを止めさせるような手段を講ずるべきであったものというべきである。

3  《証拠省略》によれば、原告らは、日ごろ和啓及び啓史に対し、「マンションの空地及び出入口付近は、自動車が出たり入ったりして危いので、そこでは遊ばないように。」と注意していた事実を認めることができるが、原告らが和啓らに対し、それ以上に門扉で遊んだりすることのないようにと警告していたとの事実を認めるに足りる証拠はない。

また、《証拠省略》によれば、事故発生の日、原告和子は、林方に和啓と啓史を迎えに行ったが、林方に入りかけた時、和啓と啓史が貴治及び衛と一緒に外に出ようとしていたので、林悦子に挨拶の言葉を述べただけで、浦和橋荘の自室に帰り、和啓、啓史らがマンションの出入口付近で遊んでいたのを知りながらも、これを監視しようとせず、自室で仕事に取り掛かっていた事実を認めることができる。

そして、四人の子供のうちでは、和啓が最年長者であったのであるから、和啓が卒先して、門扉を動かしたり門扉に乗ったりして遊んでいたものと推認するのが相当である。

4  してみれば、原告らは、和啓及び啓史が他人の屋敷であるマンション敷地に入り込み、危険の大きい門扉を動かしたりして遊んでいたのを放置していたものというべきであって、親権者として、和啓及び啓史に対する監督・監護義務を著しく怠ったものというべきである。

そして、原告らが和啓及び啓史に対する監督・監護義務を怠ったことは、啓史の死亡という事故の結果について大きな原因をなしたものというべきであるから、原告らの過失の程度は著しいものであり、その過失割合はこれを一〇分の八と見るのが相当である。

四  損害

1  啓史の逸失利益

(一)  啓史は、健康な男子であったから、一八歳から六七歳に達するまで四九年間就労することが可能であったものと推定することができる。労働省作成に係る「賃金構造基本統計調査報告」のうち、昭和五三年「都道府県別パートタイム労働者を除く労働者の年齢階級別きまって支給する現金給与額、所定内給与額及び年間賞与その他特別給与額」の表における埼玉県に関するものは、産業計・企業規模計・男子労働者について、「きまって支給する現金給与額」一九万五六〇〇円(月額)、「年間賞与その他特別給与額」六三万一三〇〇円となっているから、年額では二九七万八五〇〇円となり、啓史は、右の額を下らない収入を得ることができたものと推定することができる。啓史が生存した場合における生活費として収入の二分の一を控除すると、純利益額は年額一四八万九二五〇円となる。中間利息は年別ライプニッツ方式をもって控除するのが相当であり、ライプニッツ係数は、一九・〇二八八(六二年)から九・三九三五(一三年)を差し引いて得られる九・六三五三である。

したがって、啓史の死亡時における逸失利益の現価は、一四八万九二五〇円に九・六三五三を乗じて、一四三四万九三七〇円となる。

(二)  被害者側の過失を考慮し、右のうちの二割に当たる二八六万九八七四円を賠償額と定めるのが相当である。

2  啓史の慰謝料

前記認定の門扉等の構造、門扉の利用状況、事故発生の状況及び被害者側の過失等を考慮すれば、啓史自身の慰謝料としては五〇万円をもって相当とするものと認めるべきである。

3  相続

原告らは、啓史の父又は母であるから、啓史の取得した三三六万九八七四円の賠償請求権を二分の一(一六八万四九三七円)ずつ相続により取得した。

4  原告らの慰謝料

原告らは、二男の啓史を五歳で失ったのであるが、前記認定の門扉等の構造、門扉の利用状況、事故発生の状況及び被害者側の過失等を考慮し、原告ら各自の慰謝料としても、それぞれ五〇万円をもって相当とするものと認めるべきである。

五  結論

原告らの本訴請求のうち、被告に対し、それぞれ損害金二一八万四九三七円及びこれに対する不法行為の日の翌日の昭和五二年一月一三日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるから、これを認容すべきであり、被告に対しその余の金員の支払を求める部分は理由がないから、これを棄却すべきである。

よって、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(判事 加藤一隆)

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